蛾類学会コラム27 ネイチャーガイドと蛾
矢崎英盛
私は現在、⼤学院⽣として蛾の進化を研究しています。その傍ら、この6年ほど、都会暮らしの親⼦に⾃然の魅⼒を紹介する、ネイチャーガイドの活動を⾏ってきました。実は蛾たちは、このネイチャーガイドの現場で⼤活躍してくれているのです。
⾃然に馴染みの薄い参加者に、⽣物への関⼼を持ってもらうには、知識の解説から始めるよりもむしろ、「⾯⽩い!楽しい!」という情動的な部分に直接訴えるようなきっかけが、まずは有効であることがよくあります。例えば昆⾍の観察は、「採る」楽しみがあること、そして、⼿のひらに乗せて、⼦供でもその触り⼼地を感じられることから、⾮常に効果的です。
多くの参加者は、それまで昆⾍に触った経験がありませんが、⼿にとってその精巧で美しい構造を観察してもらうと「今まで⾍が怖いと思ってちゃんと⾒たことがなかったんですが、よく⾒るとこんなにきれいなんですか!」と感激されることが珍しくありません。それをきっかけに、植物や⿃、きのこなど、⾃然の中の魅⼒的な造形を、次々に発⾒して夢中になっていく様⼦をサポートするのは、ネイチャーガイドの活動の中でも、⼀番楽しい瞬間です。
蛾の仲間は、四季を問わずにいつでも、そしてどんな場所でも出会える存在として、素晴らしい観察対象です。しかもその種数、形態、⽣態のありようが常に多様であることは、様々な価値観を持つ多様な参加者たちに訴えかける可能性を広げていると感じます。よく覚えているのは、⽇本で 7 ⼈しかいない「切⼿デザイナー」の⽅とご⼀緒したときのこと、何種かのスズメガを 30 分ほど眺めた後、彼がぽつりと、しかし深く発した「これはいい」という⼀⾔が忘れられません(その年の冬には⼀緒に糖蜜を仕掛けにいってしまいました)。
今夏の⼤学の実習では、森で出会ったベニシタバの鮮やかな後翅の⾊に感激した⼥⼦学⽣が、蛾の翅の模様の調査をしたい、と、すごい集中⼒で探していた様⼦も、忘れられない時間です。そんな蛾の急激な吸引⼒は、ネイチャーガイドの中で出会う⽣物の中でも、独特のものがあります。
それは蛾という⽣物の⽴ち位置が、「知っているようで知らない」絶妙のところにあるのが理由の⼀つでしょう。蛾には、蝶という誰にでも馴染みの深い隣⼈がおり、「蝶と蛾は何が違うんですか」というフレーズは、ネイチャーガイドの中で受ける質問のダントツの No.1です。加えて蛾の、地味・毒・害⾍といった⽐較的強固なネガティブイメージは、多くの⼈々に蛾の存在をはっきりと認識させているようです。
これが、例えばツチハンミョウのような⽣物だったりすると、まずその存在⾃体から解説を始めなければならない点で、蛾は⼀つ壁が少ないとも⾔えます。⼀⽅で蛾を意識的に観察した経験を持つ⼈は少なく、ネガティブイメージによって参加者の期待値が低いところから始まる、という効果もあいまって、いざじっくり眺めたときの、なんてすごいんだ!、というギャップの⼤きさは、他の昆⾍に増してドラスティックで新鮮な驚嘆を⽣みます。それが、形態の美しさ、⽣態の⾯⽩さ、といった蛾の様々な魅⼒を、興奮とともに伝わりやすくしているのかもしれません。
⾔い換えれば、ネイチャーガイドにおける蛾は、「近くにあるはずの知らない世界の扉」を開けることに対して、とても強い⼒を発揮します。私⾃⾝、10 年ほど前、深夜の冬の森を初めて⼀⼈で歩いたとき、森中にあふれるフユシャクやキリガたちのはばたきに、冬にこんな豊かな世界があったのか、と強く⼼を揺さぶられたことをきっかけに、すっかり蛾にのめりこんでしまいました。
⼤学院での研究に対しても、そしてネイチャーガイドを通じた科学コミュニケーションという⽬標に対しても、私も、蛾の開いてくれる新しい扉を探しながら、これからも学んでいきたいと思っています。
Last update: 5 Dec, 2019